みしり
音が鳴った
不安がよぎる
何も無い部屋
守らなきゃ、抱え込んで唱える大丈夫だよ
大丈夫(大丈夫じゃない)
未来(子供)も守るために言い続ける
大丈夫
自分に言い聞かせる
我が子に私の恐怖が伝わらないように
1秒が1時間に思えた
音が去って外に出る
石と鉄の塊が音を立てる、連続で
空がまだ明るくて、揺れる何かが落ちていく
目眩のような光景
蘇る記憶を必死に抑えて
隣にいる我が子に悟られないように
大丈夫(大丈夫じゃない)、大丈夫(大丈夫じゃない)
子の冷えた体をさすり、片手にはぎゅうと握るガラケー
ああ、神様...
とっさに浮かぶはこの言葉
口には出さずとも、この子をお護り下さい
祈る、祈る...口に出さずとも、ここにいない夫の無事を
忘れるものかこの日を
忘れるものか後になって知ることになった惨状を...
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唐突に思い出して勢いで書いたものです。
実は阪神・淡路大震災経験者で東日本大震災経験者です。と言ってもどちらも私自身に大きな被害は無かったんですけども、震源地からはなれててもテレビで何度も流れてくる映像が元でテレビが見れなくなったりで、取れない鍋底の分厚い焦げのように消えてくれない記憶になってます。
「あれから10年以上経ってるのか」
風化しつつあった阪神・淡路大震災の揺れと被災地の様子、幼い頃見た実際の多分仮設住宅を思い出してこの言葉が出てきました。
東日本大震災の時に幼稚園児だった我が子が覚えてるかは分かりません、団地に住んでたんですが一部屋だけ布団以外置いてない部屋がありまして我が子に布団をかけて覆いかぶさり、私自身も布団をかぶり大丈夫と言い続けた記憶があります。
その記憶(阪神・淡路大震災)もまだ鮮明に思い出せるうちに中越沖地震や能登半島地震。
今は情報源がテレビだけでは無いので、思う出そうと思えばいくらでも記憶は蘇ります。
被災地に居なくてもその情報だけで被災地にいる感覚に陥り、私自身それ以外の事も重なりPTSDで薬を飲む毎日です。
実際冷静にこれを書いてるように見えるでしょうが、きっと皆さんがこれを読む頃には頓服を飲まなければならない程の事になってるかと思います。
それではこの辺りでこのお話はおしまいに...それでは、また